茶人松平不昧の世界

VOL01

茶室紹介

大名茶人・不昧は、茶室にも自らの好みを発揮し、作らせました。隠居した江戸大崎の下屋敷には、11もの茶室を作り、茶の湯三昧で過ごしたといわれています。
(残念ながら現存せず)  ここでは、現在公開されている出雲地方に残る不昧好みの茶室3ヶ所について紹介します。

  • 見学希望等は直接お問い合わせ下さい。
  • 茶室は非常にデリケートな建築物です。見学の際は、所有者並びに管理者の指示に従って一人一人がマナーを守り、貴重な財産として後世に伝えていきましょう。

重要文化財 菅田庵

寛政4年(1792)不昧42歳の頃、有澤山荘内に建てられた。 有澤山荘は、代々家老職をつとめた有澤家の初代織部直玄が松江藩祖松平直政から賜った眺望の良い山地で、 六代織部弌善(かずよし)の時、山荘内に不昧の指図によって菅田庵と御風呂屋がつくられ、続いて不昧の実弟雪川が設計した向月亭が組み合わされた。

菅田庵は、茅葺きの入母屋造りの破風に不昧筆の丸陶額が掲げられ、内部は一畳台目中板、隅炉、洞床の席で、菅田庵の名は地名による。 菅田庵に隣接する向月亭は、四畳半台目に入側を廻し、細竹を並べた軽快な竹縁が廻る。炉は向切、台目床の脇に一間の地袋と天袋があり、ゆったりとした空間となっている。 低い生け垣で囲んだ庭は、飛び石と青竹で縁取りしたのべ段のみがあり、庭全体の調子を高めている。また、御風呂屋は蒸風呂付きの類例を見ない設備となっている。

現住所:〒690-0824 島根県松江市菅田町106
お問合せTELNo,:0852-21-4288

県指定文化財 明々庵

安永8年(1779)、不昧が29歳の頃、家老の有澤家のために建てられた。もとは、松江城にほど近い有澤本邸に建てられ、明治時代以降流転を重ねたが、その後昭和41年秋に現在地へ移築再建された。 本席は二畳台目下座床で道庫がつき、水屋、四畳半の鎖の間が備わる。この組み合わせは、不昧の好みによるという。また、腰掛待合には下腹雪隠が備わる。

独楽庵

しまねバーチャルミュージアム

文化3年(1806)、不昧は56歳で江戸大崎下屋敷に隠退する。この約2万坪余りの大茶苑には11棟の茶席が散在していた。 その中心に据えられた独楽庵(一畳台目)は、千利休が天正年中に秀吉の許可を得て宇治田原に建てたと伝えられる。 ここには、四代将軍家綱に献茶した船越伊豫(?~1671)の三畳台目の席と裏千家六世泰叟の二席が組み込まれている。 この伊豫席は、小間ながら給仕口や真塗りの床框がつき、三種の天井のつくりなど大名好みの特徴がみられ、不昧はこの席を好んで度々茶会を催している。
平成3年(1991)、出雲市立出雲文化伝承館に忠実に復元され,当時の面影を偲ぶことができる。

現住所:〒693-0054 島根県出雲市浜町520
お問合せTELNo,:0853-21-2460