石見銀山

VOL06

江戸時代初期にシルバーラッシュをもたらした石見銀山。 その背景には行き届いた管理・経営方法があり、また積極的に技術の向上も図られました。当時築かれた鉱山技術は、現在にも受け継がれています。

鉱床のできるまで

用語解説

  • 鉱石:金・銀・銅などを含む石
  • 鉱脈:地中の割れ目や断層に、鉱石が帯状に形成されている状態
  • 鉱床:鉱石が集まっている場所

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石見銀山には2つの鉱床があります。仙ノ山山頂を境にして東側にある福石鉱床と、西側の地下にある永久鉱床です。
仙ノ山は約150万年前に火山活動によってできました。 そしてマグマに熱せられた地下水が熱水となり、岩石中に含まれる金銀銅を溶かしながら、地中の割れ目や断層に沿って上昇します。 それが地表近くのところで冷却されて、金銀銅を含む鉱床となります。 福石鉱床と永久鉱床が形成されたのは約100万年前のことでした。

福石鉱床は地表近くに分布し、自然銀を多く含み、他に輝銀鉱・方鉛鉱などが産出されました。 また永久鉱床は地表から地下に分布し、銀を含んだ黄銅鉱・黄鉄鉱・方鉛鉱などを産出しました。 石見銀山が開発された当初は、良質の銀鉱石を含んだ福石鉱床を中心に鉱石の採掘が行われましたが、次第に永久鉱床にも着手されるようなりました。 そのため、銀山では銀のほかに銅の生産も行われました。

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    福石
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    黄銅鉱
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    方鉛鉱

鉱石の採掘方法

(1)探鉱

まず鉱床のある場所を見つけます。これを見立てといいます。その手がかりは露頭といい、鉱脈の先端が地表に露出したところを探します。 露頭は長い間、風雨にさらされているため表面が酸化して黒褐色に変色しています。この状態を「ヤケ」といい、鉱脈を発見する際の重要な目印でした。

(2)開抗

開発初期には、地表に現れている露頭を採掘しました。

(3)普請・採掘

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露頭は鉱脈の先頭であるため、開発が進むにつれ鉱脈にしたがって地中を掘り進んで行くようになります。 そこで間歩という、鉱石を掘るためのトンネルが作られるようになりました。 このように鉱脈を直接掘り進んでいく方法を「ひ押し」または「鉉延(つるのべ)」といいます。

(4)排水処理

ひ押しという採掘方法は鉱脈を追って掘り下がるため、地中深くなるにつれ地下水が湧き上がりました。 作業場所に水がたまると作業ができず、良鉱であってもあきらめなければなりませんでした。 そこで、排水を兼ねた「横相(よこあい)」という水平坑道が掘られるようになりました。
この「横相」という方法は、鉱脈の走っている方向をあらかじめ調査し、その方向に対して直角に水平坑道を掘るというものです。 水平だから水を排出しやすいのです。このような方法がとられていたということから、 当時高度な測量の技術があったことがわかります。横相は複数の鉱脈に当てることが可能であるため、ひ押しよりも効率がよいという利点もありました。
石見銀山の場合、通常鉱脈は東西に走っているため、横相は南北方向に掘られています。 坑道の掘り方が東西方向か南北方向かで、ひ押しか横相かという掘り方の違いがわかります。

開発の手続き

一般に銀山の経営形態は「御直山(おじきやま)」と「自分山」の2種類があります。 御直山は代官所直営の間歩です。間歩(坑道)の開削や修復などについて、代官所の公費を投入して開発し、山師(銀山経営者)が入札してそれを請け負います。 つまり御直山は代官所の公共事業です。 大久保間歩、龍源寺間歩は御直山でした。

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    龍源寺間歩
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    大久保間歩

一方、自分山は山師の自己資金で開発する間歩です。山師が開発する場合には、まず開発を希望する場所を代官所に届け、 その許可を得てから稼業が行われました。これを稼山(かせぎやま)といいます。主に坑道の採掘や普請を行います。 さらに稼業中に鉱脈に切り当たると、代官所に届出を行います。
代官所役人の立会いの下、一昼夜で採掘される鉱石の量とその中に含有する銀の品位を調べ、それらを基本に一定期間の運上銀(税として納める銀)を決めます。 これを値入(ねいれ)といいます。 そして山師の入札によって稼業人を決めました。この落札された間歩を請山(うけやま)といいました。
民間経営の間歩の名前は、多くの場合間歩の持ち主の名前になっていますが、間歩そのものを所有しているのではなく、鉱業権という権利を持っているにすぎません。 ある一定の場所を掘ってもよいということを認められているのです。
間歩を開発するときは、他人の間歩より26m離さないといけない決まりがありました。

労働組織

鉱山は、間歩を開発し鉱石を採掘する作業と、掘り出された鉱石から金属を製錬する作業とに分かれています。
間歩の開発や採掘作業は以下のように組織されていました。 銀堀以下の労働者は、山師より山鎚・鉄子・山箸などの道具を借りて生産に従事し、給料として貨幣(銀2匁)もしくは飯米を受け取りました。

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製錬作業は以下のように組織され、灰吹銀や銅などを生産しました。

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山師によって採掘された鉱石は、銀吹師が購入して灰吹銀を生産しました。 そして裏目吹所(裏目吹は清吹ともいう)でさらに精製し、最終的には代官所が銀吹師から買い上げました。

坑内の通気と排水

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坑道は地中深く掘られているため空気の循環が悪く、何の対策もなければ酸欠状態になることもありました。 そのため通気をよくする目的で、「煙穴」と呼ばれる地上と坑道を結ぶ通気穴が掘られたほか、「板踏み」や「唐箕(とうみ)」によって空気を送り込みました。 また坑道の排水路に板ぶせをして、水の流れによって空気を排気して通気を保つという工夫もなされました。
一方、坑道を地中深く掘るにしたがい、地下水が湧き出るようになります。こうした水を処理するために、木や竹で作った「水吹子(みずふいご)」と呼ばれる揚水ポンプを使い、 坑道内にたまった地下水が人力で排水されました。

鉱山労働と鉱山病

鉱山の労働は重労働であるとともに、気絶(けだえ)という鉱山労働者特有の呼吸器疾患も大きな問題でした(気絶は他の鉱山ではその症状から「ヨロケ」ともいいます)。 その原因は、坑内で灯りとして使うカンテラから出る煙や、鉱石を採掘するときに出る石の粉などを呼吸の際に吸い込み、肺に蓄積してしまうことでした。 坑内作業に従事する銀堀などは、30歳になると長寿のお祝いをしたといわれるほど短命でした。
代官所でも労働者の救済を目的に次のような救護政策を行いました。

  • 銀山御取囲(ぎんざんおとりかこい):鉱山病のために生活ができない者に対し、1日1人玄米2合宛支給
  • 御勘弁味噌(ごかんべんみそ):保養薬のために1人に大豆4升と麹2升、塩2升が支給され、山役人が味噌にして支給
  • 子供養育米:子ども1人に1日米3升ずつ、2歳から10歳まで支給

また、屋代増之助支配の安政5年(1858)には、備中(岡山県)から医師の宮太柱を呼び「通気管」の改良をはじめ、気絶などの鉱山病の対策にあたらせました。 宮太柱の考案した鉱山病対策法は「済生卑言」という報告書にまとめられ、佐渡や生野などの各地の鉱山にも伝えられました。

銀の製錬方法

製錬とは、掘り出した鉱石から金属を作る技術のことをいいます。石見銀山では以下のような方法で銀を製錬していました。

(1)鏈拵(くさりごしらえ):鉱石から鉱物と不要岩石に選鉱する作業

掘り出された鉱石には、銀など鉱物を含む部分とそれ以外の部分(素石)があるので、鉱石を「かなめ石」という石の作業台の上に置いて「つるはし」で不要な素石を除きます。 次に鉱物部分を「えぶ」という先の尖ったザルに入れ、水を張った半切桶の中で水洗いします。
半切桶の底にたまった土砂や細かく砕かれた鉱石は「ゆり盆」という栗の木で作られた盆に入れ、水の中でゆっくりと揺すります。 この作業は比重選鉱とよばれ、各物質の比重の差を利用したものです。銀を含んだ鉱石は、土砂や他の不要な鉱石よりも重いので盆の底に沈み、他の不要な岩石はその上層に集まります。 この上層に集まった土砂や岩石を取り除いて、底にある鉱石をとります。 こうして選鉱された鉱石を「正味鏈」といいます(江戸時代には、一般に鉱石を「鏈(くさり)」といいました)。

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(2)素吹(すぶき):炉の中に鉱石と鉛を入れ、銀と鉛の合金を作る作業

正味鏈には銀以外の不要な鉱物が含まれているので、銀を取り出す作業が必要となります。

  1. 炉の中に炭を入れ火をつけ、正味鏈、酸化マンガンなど鉱石を溶かしやすくするための錬(こわり)、「あえ」という鉛を含む鉱石を入れます。
  2. そして吹子で空気を送りながら温度を上げ溶かします。
  3. 鉛は銀と結びつきやすい性質(親和性)があるので、鉛と銀の合金=貴鉛(きえん)ができ、他の鉱物より重いので炉の底に沈みます。
  4. 炉の表面に浮かんできた他の鉱物を、鉄製の道具でかき出していくと、最終的に貴鉛が残ります。

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(3)灰吹(はいふき):素吹でできた銀と鉛の合金を分離する作業

素吹の工程で作られた貴鉛から銀と鉛に分離する方法を「灰吹法」といいます。

  1. まず貴鉛を灰吹炉の上に置き、炭の粉をふりかけて点火します。
  2. 次に椿や槙などの生木を炉の上に置いて、そのすき間をぬれた筵でふさいで火気がもれないようにします。
  3. やがて温度が上がると貴鉛がとけ始め、吹子によって炉の中に吹き込まれた酸素と鉛が結びついて酸化鉛となります。
  4. この酸化鉛は灰にしみ込みやすい性質があるため、次々と灰に吸収されていきます。
  5. 一方、銀は灰にしみ込まずそのまま炉の上に残ります。こうしてできた銀を「灰吹銀」と呼びます。

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(4)清吹(きよぶき):できた灰吹銀の品位を上げる作業

幕府に納める銀は品位が指定されていました。灰吹までの過程でできた粗雑な銀は定められた品位まで純度を高められた後、代官所へ納められました。

今に生きる鉱山技術

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○鉱山だけにとどまらない鉱山の土木技術

  1. 兼六園(けんろくえん)の噴水
    石川県にある兼六園の噴水は辰巳用水(たつみようすい)が利用されており、その辰巳用水は銀堀技術が使われています。
  2. ドーバー海峡
    イギリスとフランス間の海峡であるドーバー海峡を結ぶトンネル工事に日本の企業も加わりました(トンネルの全長は50.5km)。 日本の企業はフランス側から掘削を始め、かなりの難工事でしたが、日本の高度なトンネル技術により、工期をはるかに上回る早さで成し遂げました。

○都市鉱山の技術 Urban Mine

都市鉱山とは、私たちの住む街中で廃棄された、携帯電話やパソコンなどの電子機器に含まれる金属類を回収、リサイクルすることです。
秋田県にある同和鉱業小坂製錬所の、黒鉱(くろこう)から鉛・銀・銅を取り出す技術が、都市鉱山技術に生かされています。
※黒鉱:鉛・銀・銅など多くの鉱石が含まれています。他の岩石には通常1種類くらいしか含まれていません。
このように技術が受け継がれて、技術立国を支えているのです。