海士町

後鳥羽上皇関連資料や隠岐神社創建時の奉納品などを展示

1221年(承久3年)承久の乱に敗北した後鳥羽院は配流地隠岐への出発に先立ち幕府の命令で出家することとなりました。
この絵は後鳥羽院が当時一流の絵師と呼ばれた藤原信実を急いで呼び寄せ描かせたものです。

 

1239年(延応元年)都へ帰りたいと願っていた後鳥羽院でしたが19年の歳月を隠岐で過ごした末に崩御しました。
これは後鳥羽院が崩御の13日前に朱の手形とともに書き残した「置文」で、水無瀬の所領を家臣藤原親成に譲るという内容です。

 

およそ700年前の鎌倉時代の作とされる来國光の太刀。江戸時代の末、孝明天皇の即位式のため上洛した松江藩九代藩主松平斎貴(なりたけ)が賜った品で、昭和13年に隠岐神社に奉納されました。

 

資料館の裏には、島の民具を集めた民具館があります。